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東京地方裁判所 昭和37年(刑わ)2615号 判決 1965年3月30日

被告人 小林恒好

明三五・五・一七生 会社員

清水盛男

昭四・二・七生 無職

主文

一、被告人清水盛男を懲役三年に処する。

一、未決勾留日数中、九〇日を右刑に算入する。

一、訴訟費用中、証人大河原誠一郎、同渡辺朝秋、同桐谷喜代子、同肥留川勇、同本多正治、同垂石清三に支給した分のうち、各二分の一を被告人清水盛男の負担とする。

一、被告人小林恒好は無罪。

理由

第一節  被告人清水盛男に係る公訴事実について

(被告人清水の経歴と本件犯行の概略)

被告人清水は、日本電信電話公社の職員をしていた宇市の長男として出生し、小石川工業高校(夜間部)を経て、昭和二五年に明治大学専門部法学科(夜間部)を卒業した。その間、在日米軍宿舎のボーイとして働き、右大学卒業後は、業界新聞社の事務員或いは電話工事請負業の工員として働いたこともあつたが、性来虚弱な体質のためいずれも長続きがせず、自宅で読書したり遊び歩いたりして徒食していたところ、同三四年三月、東京地方裁判所刑事第八部(裁判長横川判事)で、詐欺罪により懲役一年、執行猶予三年に処せられた。その後は同三六年一二月一日に本件詐欺事件により逮捕されるまで家出し、もと女給大沢泰子と同棲し、池袋、渋谷などの都内の旅館を転々とし、定職にも就かず、専ら相被告人小林らの提供する金品に頼り、競輪、競馬、映画等の遊興飲食を重ねていたものである。ところで、被告人清水は、同三〇年前後頃から、同人が終戦当時皇室の存続に尽した功績をもとG・H・Qの経済顧問エルマー・J・アダムズに認められ、その尽力により宮内の重職にある武内式部の娘しのぶと結婚することになり、支度金として三千万円の財産が分与される旨の話を構想するに至つたのであるが、もとより、右の話は、アダムズが自己が在日米軍宿舎のボーイをしていたとき知りあつた米人、武内式部は幕末勤王の志士、しのぶは映画女優千原しのぶにそれぞれ名を借りて組立てた全く架空の事実であり、同被告人は、当初両親から勧められる縁談を断る口実としてこの話を利用していたにすぎないものであつた。ところが、その後、いまなお皇室尊崇の念に厚く、世情に疎い宇市ら同被告人の両親、及び、宇市の従兄弟にあたり、当時同人方に出入りしていた日本電信電話公社職員(電話局工事課長、後に宅内主任)相被告人小林が、この話を妄信している様子を見るや、次第にその内容を豊富にし、同三二、三年頃から右財産分与金は必ず渡されるなどともつともらしく振舞ながら同人らから借財していた。特に、相被告人小林は、右の話にすつかり魅せられ、その熱中的な性格から信念に近いまでに信じ込み、屡々勤め先を休んで、被告人清水の依頼により同人と武内しのぶとの結婚を実現させるための諸費用の調達に奔走したが、同三四年三月、いろいろの借財がかさみ、前記公社を退職するの止むなきに至つたものの、なお、その後も退職金の一部をさいて被告人清水に供与し、これを支援していたところ、同年六月からは遂に自己の資力も使い果したので、友人、知己に右の結婚話をしたうえ、金品を借りうけてこれを被告人清水に供与し続け、同三五年暮頃から、自宅を去つて、都内豊島区雑司ヶ谷三丁目六番地石川卯三郎方に、同三六年二月末頃から同区椎名町六丁目四、一六八番地渡辺朝秋方に、同年六月中旬頃から港区西芝浦一丁目一〇番地大河原誠一郎方に単身居住し、被告人清水の言葉どおり、同人の結婚が実現して三千万円の財産分与金が下がり、自らは宮内の重職に就任することを夢想しながら、同人の要求するままにその都度本件被害者らから金品の借用・交付をうけてこれを被告人清水に提供していたものである。他方、被告人清水は、遅くとも同三五年暮頃までには、相被告人小林に既に資力がなく、自己が要求すれば必ず同人の知人らに対し前記自己の作話を伝えて同人らから金品を借用・交付をうけてくることを知りながら、適宜相被告人小林らに対し、前記作話を真実のものと誤信させ続けるために、自ら永田義雄と名乗り、東大医学部を卒業し国立第一病院等に勤める医師である旨詐称し、右病院内に相被告人小林らを呼び寄せるなどしていかにも医者である風を装い、或いは自身も宮内の重職に就任する予定であり、その周辺には絶えず警視庁の警備係官が警備している旨吹聴して、皇居の半蔵門、麹町警察署等で面談し、前記大沢泰子を久邇のり子殿下として紹介したり(本件被害者本多正治らに対し)、果ては、東京地方裁判所刑事第八部で審理判決した前記詐欺事件は捜査の誤りであつて無罪の仮判決がなされているなどと当意即妙の詐言を弄し、前記横川判事、最高裁の小谷裁判官、久邇朝融、武内式部、谷口断山等の実在ないし架空の著名人の名前で、電話ないし電報により、相被告人小林らに対し、永田義雄の援助方をよろしく頼む旨通信したりした。そして、相被告人小林を介して、本件被害者らにあえて前記結婚に伴う諸費用等の名下に金員の貸与または物品の売却方を申し込み、同人らをその旨誤信せしめ、よつて右金品を相被告人小林に交付せしめてこれを騙取し、前記の如くこれらを大沢泰子との生活、遊興等に費消していたものである。

(罪となるべき事実)

被告人清水は、かねて相被告人小林に対し、自己が終戦当時皇室の存続に尽した功績をG・H・Qの経済顧問エルマー・J・アダムズに認められたため、宮内の重職にある京都の武内式部の娘しのぶと結婚することに決まり、仕度金として三千万円の財産分与がなされる旨の全く架空の事実を申し向けたところ、同被告人がこれを妄信しており、しかも、同被告人は自己のために資力を使い果したが、もと地方電話局の工事課長をしたこともあり他人から信頼されているので、被告人清水において右武内しのぶとの結婚に伴う諸費用等の名義で金員の貸与方または物品の販売方を申し込めば、相被告人小林はこれをそのままその知人ら他の者に伝え、右財産分与金により間違いなく返済または支払できる旨告げて、同人らから金品の交付を受けてくる事実を予知しながら、自己にはこれを返済し、または支払う意思も能力もないのに、右財産分与金で返済または支払できるように装い、情を知らない相被告人小林を利用して他の者からも金品を騙取しようと企て、

第一  相被告人小林から、昭和三四年六月頃に前記武内しのぶとの結婚及び三千万円の財産分与金の話を聞いて、爾来その旨誤信していた保険外交員金出地告朗に対し、情を知らない相被告人小林を介し、別紙一覧表第一記載のとおり、同三六年一月一〇日頃から同年一一月四日頃までの間に、前後八回にわたり、「武内しのぶとの婚姻につき、久邇殿下及び松平家に連絡のため電話しなければならないので、その費用を貸してくれ。財産分与があるから必ず返済する」等の嘘を言つて、武内しのぶとの婚姻に伴う連絡費用、財産分与に要する印紙代等の名下で金員の借用方を申し込み、右金出地をその旨誤信させ、都内豊島区雑司ヶ谷三丁目六番地石川卯三郎方等四ヶ所において、右金出地から、いずれも貸借名下に、現金合計一万四、六五〇円の交付を受けてこれを騙取し、

第二  相被告人小林から、同三五年六月頃に前記武内しのぶとの結婚及び三千万円の財産分与金の話を聞き、爾来その旨誤信していた渡辺朝秋(相被告人小林が日本電信電話公社に勤務していた当時の部下で、同公社職員)に対し、情を知らない相被告人小林を介し、別紙一覧表第二記載のとおり、同三六年一月一六日頃より同年六月一六日頃までの間に、前後七五回にわたり、「武内しのぶと結婚することになつている被告人清水が、詐欺事件で裁判を受けており、同人を無罪にしなければ縁談は成立しない。そのために裁判の費用が必要である。三千万円の財産が分与されるから必ず返済する」旨嘘を言つて、武内しのぶとの婚姻に伴う裁判の費用、連絡費用、財産分与の手続に要する印紙代等の名下で金員の借用方を申し込み、右渡辺をその旨誤信させ、都内豊島区西巣鴨二丁目三、二七七番地日本電信電話公社池袋電話局等五ヶ所において、いずれも貸借名下に右渡辺から現金合計二四万二、〇三〇円の交付を受けてこれを騙取し、

第三  相被告人小林から、昭和三六年三月上旬頃に前記武内しのぶとの結婚及び三千万円の財産分与金の話を聞き、爾来その旨誤信していた桐谷喜代子(前記渡辺の知人)に対し、情を知らない相被告人小林を介し、別紙一覧表第三記載のとおり、同年三月二一日頃から同年七月三日頃までの間に、前後三四回にわたり、「京都の武内家等に連絡する費用が必要である。財産分与の金で必ず返済する」等と嘘をいつて、武内しのぶとの婚姻に伴う連絡費用、交通費、財産分与の手続に要する印紙代等の名下に金員の借用方を申し込み、右桐谷をその旨誤信させ、都内豊島区椎名町六丁目二、二七〇番地渡辺朝秋方等六ヶ所において、いずれも貸借名下に、右桐谷から現金合計一二万八、三〇〇円の交付を受けてこれを騙取し、

第四  相被告人小林及び大河原誠一郎から、昭和三六年八月頃に前記武内しのぶとの結婚及び三千万円の財産分与金の話を聞き、爾来その旨誤信していた本多正治(右大河原の知人)に対し、情を知らない相被告人小林ないし右同様の大河原を介し、或いは直接に、別紙一覧表第四記載のとおり、同年八月一九日頃より同年一一月五日頃までの間に、前後四七回にわたり、「京都の武内家、秩父宮家、館林の正田家等に連絡する費用が必要である。財産分与の金で必ず返済する」等と嘘を言つて、武内しのぶとの婚姻に伴う連絡費用等の名下に金員の借用方を申し込み、右本多をその旨誤信させ、都内港区西芝浦一丁目一〇番地大河原誠一郎方等九ヶ所において、いずれも貸借名下に、右本多から現金合計四四万五、五八五円の交付を受けてこれを騙取し、

第五  前記大河原誠一郎の知人小林五郎に対し、別紙一覧表第五記載のとおり、昭和三六年六月一八日頃から同年一一月二九日頃までの間に、前後二六回にわたり、都内台東区浅草松清町二番地浅草郵便局内において、情を知らない相被告人小林及び右同様の大河原誠一郎ないし同人の妻えんを介し、前記武内しのぶとの結婚及び三千万円の財産分与の話をしたうえ、「京都の武内家、館林の正田家等に連絡する費用が必要である。三千万円が下りるから必ず返済する」等と嘘を言つて、武内しのぶとの婚姻に伴う連絡費用、財産分与の手続に要する印紙代等の名下に金員の借用方を申し込み、右小林五郎をしてその旨誤信させ、いずれも貸借名下に同人から現金合計一四万六、四八〇円の交付を受けてこれを騙取し、

第六  電機商肥留川勇及び同人の妻さくに対し、別紙一覧表第六記載のとおり、昭和三六年七月六日頃より同年一〇月一七日頃までの間に、前後六回にわたり、前記大河原誠一郎方において、情を知らない相被告人小林及び右同様の大河原誠一郎を介し、前記武内しのぶとの結婚及び三千万円の財産分与金の話をしたうえ、かつ入手後直ちに入質換金して自己の生活費等に費消する意図であるのにこれを秘して電気製品の購入方を申し入れ、代金は必ず右財産分与金で支払う旨申し向けて、右肥留川勇らをしてその旨誤信させ、同人より、それぞれ売買名下に、トランヂスターラヂオ等合計七点(代金合計一七万七、三〇〇円相当)の交付を受けてこれらを騙取し、

たものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

法律に照らすと、被告人清水の判示第一ないし第六の各所為はそれぞれ包括して刑法二四六条一項に各該当するところ、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により犯情の最も重いと認める判示第四の罪の刑に法定の加重をした刑期範囲内で処断する。情状についてみると、同被告人は前記の如く詐欺罪により執行猶予中の身でありながら、自己の生活費並びに遊興費を捻出するために、相被告人小林を含む本件被害者らに対し、皇室に対する尊敬の念を利用し、或いは実在する多くの著名人を仮装し、さらに自己の受けた裁判の経験を悪用するなど、巧妙かつ入念にして悪辣な擬装工作を施して、本件各騙取行為を重ねていたものであり、その被害額は一一五万円以上の多額にのぼりながら、これが返済については、相被告人小林がその誠意を尽しているのに、被告人清水においては顧慮している形跡が全く見当らず、しかも、本件金品の多くは被害者らが額に汗して得た、さ程裕福でもない生計費のなかから支出されたものであるにも拘らず、同被告人が、これを遊興費等に費消し、毫も他を省みなかつたことは、極めて悪質というほかはなく、また、当公判廷においても、言を左右にして反省の色が窺われないことは遺憾である。しかし、他方において、同被告人は春秋に富み、保釈後は約三年間に亘り事故も起さず経過しており、その所業に対する真摯な反省の如何によつては、更生も決して難しいことではない等の有利な情状もないではない。これら諸般の情状を考慮したうえ、同被告人を懲役三年に処し、同法二一条により、同被告人に対する未決勾留日数中九〇日を右刑に算入し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して主文掲記のとおり同被告人の負担とする。

第二節  被告人小林恒好に係る公訴事実について

第一公訴事実の要旨

被告人小林に対する公訴の提起は、昭和三七年五月三一日付起訴状によつて行われており、これを要約すれば、被告人小林は、相被告人清水(被害者本多正治、同小林五郎、同肥留川勇に対する各事実についてはさらに大河原誠一郎)と共謀のうえ、金出地告朗ほか五名に対し、さきに相被告人清水について第一節で認定した詐欺手段を用い、右金出地らから同認定の金品を騙取(但し、別紙一覧表のうち、第六の4につきこれを除き、第四の5については現金二九、三〇〇円、同7については現金五〇、〇〇〇円と改めたもの)した、というのである。

第二当裁判所の判断

一、右公訴事実のうち、被告人小林が同事実記載の日時、場所において、金出地告朗ほか五名に対し、同記載の如き事実を申し向け、同人らをしてその旨信用させて、同人らより同記載の金品の交付をうけたこと及び被告人小林が金出地告朗ほか五名に対して申し向けた、相被告人清水が武内式部の養女しのぶと婚約を結び、結婚の暁には皇室から三千万円の財産分与をうける等の話が全く根拠のない虚構の事実であることは、いずれも関係証拠によれば明白であり、被告人小林も当公判廷でこれを認めている事実である。しかし、被告人小林において、検察官主張の如く、その申し向けた事実が虚構であることを事前に知りながら、右所為に出たものであるかいなかの点は、争いの存するところで、被告人小林は強くこれを否定し、右行為当時は事が明白となつた現在とちがい、相被告人清水の巧妙な言動によりすつかり騙され、右に発言したことの実現性を固く信じており、本件借入金の返済の可能性等についてはいささかの疑念を抱いたこともなかつた旨主張する。右の結果、被告人小林に刑事責任があるかいなかは一に詐欺の故意を認めうるかいなかに繋つているのである。

二、よつて、被告人小林に詐欺の故意があつたかいなかについて検討する。

(1) 検察官の主張に副う直接証拠は、

(イ) 相被告人清水の検察官に対する昭和三六年一二月九日付、同三七年五月二八日付各供述調書及び司法警察員に対する同三六年一二月二日付、同年同月一四日付各供述調書

(ロ) 被告人小林の検察官に対する昭和三六年一二月二〇日付、同三七年五月二八日付各供述調書及び司法警察員に対する同三六年一二月一三日付、同年同月一八日付各供述調書

である。

(イ) そして、相被告人清水の前記供述調書によれば、同被告人は検察官に対して「自分が宮内庁関係の仕事をしていないことは被告人小林が一番よく知つており、おじは自分によく『お前は金策の能力がないから金策の事は俺に任せろ』などといつていた」(昭和三六年一二月九日付供述調書)とか、「被告人小林が自分の話を信じなくなつたのは昭和三五年秋頃からだと思う。同人をとおしてそれまでに相当の借財をしてしまつたので同人の家族から詰問され、自分の話が嘘であることを同人に打ち明け、申訳ないと謝つたことがある」(同三七年五月二八日付供述調書)旨供述しており、また司法警察員に対しては、「被告人小林と二人で本件被害者らに対する借金返済の引延し策を昭和三六年四、五月頃(同年一二月一四日付供述調書第一〇項)ないし同年八、九月頃(同年一二月二日付供述調書第四項)に相談したことがある」旨供述している。

(ロ) また被告人小林の前記供述調書によれば、同被告人は検察官に対して「昭和三五年暮ないし同三六年初め頃になつても、相被告人清水が定職なく、ブラブラ遊んでおり、武内しのぶとの結婚の話も一向に進展しないので、同被告人が自分を欺き利用していることが分つたが、同被告人と手を切れなかつた」旨の供述を行ない、また司法警察員に対して「自分が欺まされていると気付いたのは渡辺方に寄食していた昭和三六年三月頃のことで、財産分与金がすぐ下りるといいながらなかなか下りないし、これに対する相被告人清水の弁解が同じだつたからである」旨供述している(同年一二月一三日付、同月一八日付各供述調書)。――もつとも、右司法警察員調書は甚しい混乱、動揺がみられ、同一の調書のなかで、「相被告人清水の言葉が本当だと思つて、この事を持ち出して肥留川を欺そうと考えた」と述べながら、その末項においてはなんの説明もなく「右肥留川を欺したのではない」と供述したり(同年一二月二日付供述調書)、「欺されていると気付いたが、相被告人清水が大丈夫といつていたのでそれを信じた」ように述べながらも「欺してしまつた」と述べている個所もある(同月一三日付供述調書)。

(ハ) そして、証人小林きんの当公判廷における供述並びに被告人両名の当公判廷における供述によれば、被告人小林は、相被告人清水の父清水宇市とは従兄弟の関係にあり、古くより相往来している間柄であるから被告人小林には相被告人清水の素性はすつかり判つている筈であり、また被告人両名の当公判廷における供述によれば、被告人小林が固く信じてその実現性に疑いをもたなかつたという、相被告人清水が武内しのぶと婚約を結び、その結婚の暁には皇室より三千万円の財産分与をうける等の話は昭和三三年以前に起つた話で、本件公訴でその対象となつている問題の起きた昭和三六年一月ないし同年一一月までの間には相当な年月が経過しているのであるが、この期間は右婚約等の話の実現性の有無を占うのに決して短い期間ではなく、一般の経験によれば、この期間をもつてしてもなおかつ右の話が実現しない場合には、その実現の可能性に疑いをもつことは当然の成行というべきであろう。これらの点をも併わせ考えると、被告人小林並びに相被告人清水の検察官及び司法警察員に対する各供述調書の供述記載中被告人小林が相被告人清水の話に疑いをもつた根拠に関するものにはまことに自然なものがあり、他に反証がない限り、その信用性は高いといつてよいであろう。(但し、相被告人清水の検察官に対する昭和三七年五月二八日付供述調書については、証人小林きん(第九回公判)、相被告人清水(第一一回公判その(二)218ないし247問答、第一二回公判119以下の問答)、被告人小林の当公判廷における各供述、小林和雄の司法警察員に対する供述調書並びに領置してある清水宇市名義の最高裁判所に宛てた答申書一通(昭和三八年押第五九〇号の13―被告人清水の第一一回公判廷における供述によれば昭和三五年一二月下旬頃作成したもの)及び同人名義の昭和三三年一二月吉日付封書一通(同号の28)に徴すると、相被告人清水が被告人小林の家族から詰問されたことはあつても、相被告人清水は大丈夫間違いない旨申し向けていたばかりでなく、同人はその両親をも同様に欺罔し誤信させていた疑いが強く、前記の如く同被告人が被告人小林の家族から詰問されて真実を述べた旨の検察官に対する供述は肯認できない。)

(2) しかるところ、弁護人は、(イ)相被告人清水の被告人小林に対する働き掛けは極めて巧妙で被告人小林の力を以てしては容易に看破できない術策を弄しており、その一例は既に証拠として採用された、相被告人清水が被告人小林に収録または作成させたテープレコーダーによる録音テープ及び親族書並びに相被告人清水が被告人小林に示した西山託意書等であるが、これらの証拠によれば、被告人小林には同被告人清水との間に右の如き親族関係があり且つ武内しのぶとの結婚が長期間に亘つて実現しなかつたとしてもなおかつ相被告人清水の発言を信ずるにつき相当の理由があつたということができる。(ロ)また、被告人小林において若し検察官主張の如く相被告人清水と武内しのぶとの結婚等の話が事実無根であることを知つていたとすれば、取得した金品は自己において相当部分領得するのが人情の自然であるところ、本件においては、被告人小林は金出地告朗ほか五名より前記所為により入手した金品は―被告人小林において自己の散髪代、交通費等として入手したものは別として―すべて相被告人清水に交付して同人を支援している。このことは被告人小林が検察官の主張と異なり右話の実現性を信じていたことを示す有力な間接証拠である、と主張する。よつて、以下これらの事実の有無について検討する。

(イ)について

当公判廷において提出され取調べた証拠物は四三点の多きにのぼり、そのいずれも極めて異色のある体裁、内容を有し、本件事案の核心に触れその実相を物語るものと推測される。従つて、本件の真相を把握するには右証拠物を看過することは許されないものであり、これらの証拠物は関係者の供述の真実性等のテスト基準として最も重要なものであろう。ここでは、被告人小林が昭和三六年一月頃ないし同年一一月頃いわゆる悪意であつたかいなかが当面の焦点となつているのであるから、右証拠物のうちこれに照応する時期に作成、使用されたものの中で右焦点と重要な関連性をもつと思われる若干の証拠物について検討してみよう。

I テープレコーダーのテープ一巻(昭和三八年押第五九〇号の27のもの)について

証人肥留川勇(第一〇回公判)、相被告人清水(特に、第七回公判証言その(一)88ないし125、292ないし323問答、第一一回公判その(二)243問答以下、第一三回公判45ないし47問答)、被告人小林(特に、第八回公判286ないし350問答、第一三回公判その(一)131問答以下、その(二)30ないし34問答)の当公判廷における各供述、肥留川勇の検察官(昭和三七年五月八日付)及び司法警察員(同三六年一一月二七日、同年一二月六日付)に対する各供述調書、大沢泰子(同三七年二月一〇日付)、相被告人清水(同三六年一二月一九日付)、被告人小林(同月二日付、同月一八日付)の司法警察員に対する各供述調書、松丸一男作成の同三六年一二月一四日付質取答申書、相被告人清水の同三七年一月一〇日付任意提出書並びに前記領置してあるテープ一巻及び電報一通(前押号の21)によると、右録音テープは、被告人小林が昭和三六年九月二〇日頃、相被告人清水の電話による指示に基いて電機商肥留川勇に対し、天皇陛下の声を録音するため宮内庁へ納入する旨虚構の事実を申し向け、同日ナシヨナル・トランヂスター・テープレコーダー一台の交付を受けてこれを相被告人清水に交付したところ、後刻同被告人が久邇殿下と称して被告人小林に電話して同人をその旨誤信させて靖国神社に呼び出し、同神社宝物殿前及び同所附近の千鳥ヶ渕で、被告人両名だけが右テープレコーダーによる録音をした際に使用したテープであること、右テープには被告人小林の音声により「趣意書」と題する一文―相被告人清水が前に受けた有罪判決を誤判として取消された機会に裁判官その他に述べる挨拶で、身の潔白が明らかになつた以上、本人の名誉はもとより地位の回復その他につき最善の協力方を懇請したもの―のほかに「その内容が皇室に関係ありとみられるもの」―皇室の宗家創立につき意見を具申したもの―が録音されているのであるが、右趣意書は、被告人小林が原稿を書き暗誦していたものであり、その他は相被告人清水作成の原稿を朗読したものであるところ、その音声はまことに厳粛で真剣味に溢れていること、右「趣意書」は、もと前年の同三五年一二月二五日に、被告人小林が、東京地方裁判所刑事第八部の法廷で、相被告人清水に対する裁判の「終結責任者」として朗読するはずのものであつたが、被告人小林の宮内奉職―相被告人清水が武内しのぶと結婚の暁には被告人小林も宮内庁に奉職する話―が正式に発表されていないということで一時延期され、その後右の録音が行なわれた時には、その一、二ヶ月後に東京地方裁判所の新庁舎の竣工が予定されており(同庁舎は昭和三六年一一月竣工)、その竣工後に同庁舎で被告人小林が横川判事らの面前で新聞記者らに発表する予定のものであつたこと及び右テープには前認定のとおり「皇室に関係ありとみられるもの」が録音されているので、相被告人清水が右録音後これを宮内庁に届けると称して持ち帰り、そのまま所持し、本件により逮捕された際任意提出していることがそれぞれ認められる。右録音テープの音声は右に判示したとおりまことに厳粛で真剣味に溢れたものであり、これに右に判示した、右テープレコーダーの入手の方法、右テープの録音の内容、右録音した場所等を併わせ考えると、被告人小林は右録音のためその全身全霊を打ち込んでいることが窺知されこの態度は当時その真実性に疑いをもつているにも拘らず芝居をしているものとは到底認め難い。そして、前記認定によれば、この録音テープは終始相被告人清水の手許に保管されているのであるが、この管理の推移に徴すれば、この録音は被害者に対する工作として作られたものではなく、被告人小林に対する工作として作られた蓋然性も極めて強い。

II 親族書(包装紙つき、同号の15)について、

右は結納の場合に使用されるものとして市販されている「親族書」と印した包装紙つきの用紙にいずれも墨筆で、族書と題した後、まず、「御参家筆頭武内式部。池田義延。蜂巣賀家。大路頼房。藤原隆光。御参家筆頭相続人武内明。御参家西山忠義」と記載したうえ、その末尾に「東京都大田区田園調布武内しのぶ、永田義雄婚姻。東京都大田区雪ヶ谷小林恒好」なる記載がなされており、結婚式の前において武内家と永田家の取り交わす親族書の如き体裁を整えている。右につき、相被告人清水は当公判廷(第一一回公判その(二)41ないし65問答、第一三回公判7ないし18問答)において、「右親族書は昭和三六年一〇月中旬頃色紙などとともに自分が買い求めた。当時金策の道を断たれ困つていたので弁解のために被告人小林に書いてもらつたものかも知れない。自分のトランクにしまつておいたので他の人に見せるつもりのものではない」旨説明し、被告人小林は当公判廷(第一二回公判112ないし120問答、第一三回公判その(二)1ないし21問答)において、「同年一〇月頃、相被告人清水から武内式部と清水家が縁戚関係が結ばれるので宮内の式部職に届けるため、極秘に書くようにメモと用紙を渡されたので、寄食先の大河原誠一郎方で自分が書いて同人に渡したものである。自分の住所を大田区雪ヶ谷と記入したのは、相被告人清水から同人の父(清水宇市)と自分が今度雪ヶ谷に住むことになつており、番地は追つて知らせるというので、雪ヶ谷と書いた」旨供述している。右親族書の氏名のうち、永田義雄は相被告人清水の別名としていたことは同人が当公判廷で自認しており、関係証拠中「永田先生」の敬称で随所に現われ、永田子爵と関係があり(証人本多正治の証言等)、或いは東大医学部等を卒業した医師(証人桐谷喜代子の証言等)の印象を第三者に与えていたことが認められる。また、被告人小林の住所を大田区雪ヶ谷とした経緯については、証人本多正治、同肥留川勇並びに被告人小林の当公判廷における供述によれば相被告人清水が同人の父(清水宇市)及び被告人小林に対し、その式部職奉職の話が近近に実現し同人らの官舎が雪ヶ谷に建設される旨詐言を弄していた疑いが極めて濃厚である。そして、右親族書は、相被告人清水の当公判廷における供述及び同人作成の前記任意提出書によれば、同人が常用していたトランクに入れてあつたものと認められ、被害者らと接触した被告人小林の手許にはなかつたのであるから、この書面は被害者に対する欺罔手段として作成されたものではなく、被告人小林に対する工作として作成されたものとみるのが相当である。そうとすれば、被告人小林が昭和三六年一〇月頃なお相被告人清水の言動を信じていた公算は強いといわねばならない。

III 西山託意書と題する封筒付書面(同号の14)について

右書面は巻紙に「西山が託(す)る書。京、式部が意、拝断山、司る甘ろ寺香寿へ相伝ふる可きものなり。正月七日。西山忠義。宮内重職、相当京都下蓮町智恩院認示皇所に在中、大勲位直筆なりと明記仕候、武内家宮内重職より筆誌に代る、是子。宮内重職嫡子武内明。菊桜会皇統正護公証松平信子。書志立会人断山。昭和三拾六年正月七日祐筆司之」の記載並びに各人名の下に朱による指印が認められる。相被告人清水は当公判廷(第一一回公判その(二)1ないし40問答、第一三回公判1ないし6問答)において、「右書面はその作成日付と異なり昭和三六年一〇月末ないし同年一一月頃止宿していた旅館で、本件被害金品返済の打開策として、被告人小林と相談することなく、酒を飲みながら書いたものであり、同人のみに見せるためのものであつた。人名中、断山、松平信子以外はすべて架空である」旨説明しており、被告人小林は当公判廷(第一二回公判100ないし111問答、第一三回公判その(二)22ないし24問答)において、「右書面は都内新大久保駅近くで、相被告人清水と二人きりで会つたとき、同人から『おじさんの信用はたいしたものだ。こういう書面が届いている。おじさん達が宮内の式部職に奉職することについて武内らが心配しており、また右書面の西山忠義らが信頼を寄せている』といつて見せてくれたので、自分は非常に感激して益々相被告人清水の言葉を信用してしまつた」旨供述している。被告人小林の当公判廷における供述及び同人の司法警察員に対する昭和三六年一二月九日付供述調書並びに相被告人清水の当公判廷における供述によると右西山忠義なる者は、全く架空の人物にすぎないのであるが、相被告人清水が昭和三三年夏頃この人物を構想し、爾来被告人小林に対し、しばしば西山勲位ないし西山大勲位という名称を使い、その名前を用いて電話をかけており、被告人小林をして極めて身分の高い人物の印象を抱かしめていたことが推測される。また、「香寿」とは、相被告人清水及び被告人小林の当公判廷における各供述並びに被告人小林の右司法警察員調書(第三項)等によると、相被告人清水が昭和三四年頃被告人小林の歌を詠む際の雅号としてつけたものであり、被告人小林をして宮内に対する関係では自己は香寿の号で知られているとの印象を与えていたことが窺われる。そして、右書面はその体裁、内容から一見して右西山らが被告人小林を信任している旨の書面であり、これを被告人両名の前記供述によつてみれば、右書面は、被告人両名の間に意味をもつものとして作成されたものであることが明らかである。そうとすれば、昭和三六年一〇月末ないし一一月頃においてもなお相被告人清水は被告人小林を欺罔し被告人小林はこれを信じていた蓋然性が極めて高いといわねばならない。

IV なお、「草案の事」と題する書面四冊(同号の――被告人小林の当公判廷における供述(第八回公判405問答)によれば昭和三六年九月頃作成したもの)、被告人小林から前東大総長茅誠司に宛てた昭和三六年八月一七日付書簡(控、同号の38)、「香寿之建」の墨書した紙片(同号の39―相被告人清水(第七回公判その二81問答)、被告人小林(第八回公判222問答)の当公判廷における供述によれば昭和三六年一〇月頃作成したもの)等は、被告人両名の当公判廷における供述に照らすと、被告人両名の間においてのみ意味を有したものであつて―これらの証拠は、被害者関係の証拠によるも、被害者らに対する欺罔手段として利用された形跡はない― 被告人小林の当公判廷での弁明があながち事実無根の言い掛りとは断じえない証拠といわなければなるまい。

(ロ)について

被告人小林においても若し検察官が主張するように相被告人清水と武内しのぶとの結婚等の話が事実無根でその実現性のないことを知つていたとすれば、金出地告朗ほか五名より取得した金品の処分にそのことが反映することは弁護人の所論のとおりであると考える。よつて、被告人小林が金出地告朗ほか五名より領得した金品の行方について検討する。

I この点に関する被告人両名の供述は相対立しており、相被告人清水は検察官に対し「被告人小林がいつ誰からいくら借りたかくわしい事は分らない。同人が借りた金のうちから自分でいくら使つているかどうかも分らない。自分が警察で見せられた本件各被害者の一覧表の金額を自分の記憶と比較して三分の一ぐらい自分の知らない金がある。従つて、被告人小林は本件各被害者から受取つた金をそのまま自分に渡した旨申立ているとのことであるが、自分は疑惑をもつている。被害者本多正治の関係では何万といつた金を受取つていない」旨述べており(昭和三七年五月二八日付供述調書)、当公判廷においてもこれと同趣旨の供述を繰返している(第三、第六、第七、第八回公判)。しかし、第三回公判においては、本件起訴状添付の一覧表に記載してある金品につきそれぞれ受領、不受領、不明の区別を設けて認否をしていたところ、第七回公判(その(二)233ないし235問答)においては、右認否の根拠につき質問された際自分の記憶に基いたものであるといいながら、その記憶は確かなものではない旨供述しており、また、第八回公判(268ないし275問答)においては、本件被害金品の殆んどを被告人小林から受領した旨を認めた司法警察員調書―各被害者関係毎に作成されたもの―に対する弁明として、「本件捜査当時既に被害金品の一覧表が出来ており、右のように受領を認めなければその場の収拾がつかないと考えて供述したものであり、自分にも確実に受領したか否か分らない」旨供述している。

他方、被告人小林の供述は、捜査段階においては、本件各被害金品のうち一部を自己が費消したかの如き供述をしながら、当公判廷においては、いずれも相被告人清水に交付している旨供述しているのである。即ち、被告人小林は検察官に対しては「自分がとつた金は約九八%位相被告人清水に渡しており、自分は車代しか受取つていない」(同三六年一二月二〇日付供述調書)とか「同三六年度中に自分が相被告人清水から頼まれて本件被害者らから借りた金員のうち自分が費消した分は二〇万円位だと思う。従つて、個人的費用に使うつもりでいるのに相被告人清水の名前を使つて金を借りた分もあるが、いつ誰からいくら貰つた金がそれであるか到底思い出せない」(同三七年五月二八日付供述調書)旨供述しており、また司法警察員に対しては、被害者本多正治関係の調書(同年一月一二日付第六項)で、「自分一人で勝手に本多を欺した分が一五回、計六万七、二五〇円あり、これらは自分の交通費や生活費に使つた」旨供述し(但し、右調書末尾に添付する一覧表の記載と矛盾するものが、右一五回分のうち、番号4、15、58、72の四回分について認められ、これらは全部もしくは一部を相被告人清水に交付したとおり、同一機会における供述中相互に矛盾する部分があつてこれに対する説明が与えられていない点は右調書に対する信用性を判断するうえにおいて看過しえない)ているが、当公判廷においては、第八回公判(166ないし218問答)において、「相被告人清水に対し口頭で誰から借りたかを明らかにしてそのまますべて渡していたと記憶する」旨供述し、第九回公判(28ないし83問答)において、捜査段階における自供の経過につき、「取調の刑事からお前も相当使つているはずだといつて鉛筆で頭を小突かれたり、全然使つていないといえば裁判所に行つてから罪が重くなるといわれた。九八%相被告人清水に渡していると述べたのは、自分が散髪代、交通費などとして本件被害者らからもらいうけた分が二%ぐらいあるという意味であり、相被告人清水のためにもらつた金は一〇〇%同被告人に届けてある。また、二〇万円は自分で使つた旨述べているのは、その頃、相被告人清水から『おじさんは示談が済んで釈放されてなんでもない。僕は裁判所に行かなければならないし、生活費となれば罪とならないから、ここの所はおじさんの生活費にしてくれ』というので、心配しなくてもよいのかと思い違いして生活費と書いたのであるが、それが全部で一五万円か二〇万円になつてしまつた」旨供述し、第一三回公判(その(二)65ないし105問答)においても右第九回公判と同様の供述をしていることが認められる。

II 被告人両名の間における被害金品の授受については、右両名ともメモなどの確実な資料によるものではなく、本件被害者らの供述及び被告人両名相互の供述に基いて喚起された記憶に依存しており、被告人両名の記憶のうちいずれが正確であるかはにわかに断定し難いといわねばならない。ところで、本件公訴でその対象となつている所為が行われた昭和三六年当時における相被告人清水の収入源をみるに、同被告人の当公判廷における供述によると、当時同被告人には職がなく被告人小林が交付する金銭以外に収入の途は無かつたことが明らかであるところ、大沢泰子(二通)、原田正夫、杉原美夫、桃井久義、桑原千谷、丹沢ふみ子の司法警察員に対する各供述調書、並びに腰原智夫、手島元博、永長美之吉各作成の答申書に徴すると、相被告人清水は当時相当多額の金銭を大沢泰子らとの遊興飲食及び競輪競馬等に費消していた(右大沢泰子によると、相被告人清水は昭和三六年六月には一日平均五千円、翌七月には一日平均四千円を費消していたと推測しており、右杉原美夫によると、同被告人は同年一一月頃、売れ残つた屋台のおでんを四、五千円出して全部買い取つたこともあり、屡々惜しみなく振舞酒をしてくれた旨供述している)ことが認められるのに対し、被害者らが捜査官に対し、また当公判廷で供述したところによると被告人小林は当時渡辺朝秋方にその後大河原誠一郎方に単身寄食していたが、酒も煙草ものまず、服装はみすぼらしく、小使銭にも事欠いている様子であり、久邇殿下、横川判事などから連絡をうけるために寄食先の自室にこもつてひたすら待機し、本件被害者らから金品の交付をうけたときは、その都度これを届けてくる旨申し述べて三〇分ないし一時間位外出していたことが認められ、一件証拠を検討しても、右事実が被告人小林の被害者らを欺ますための仮装であるとの疑いを抱かせるに足る証拠は存在しない。そして被告人小林が約二〇万円を費消した旨の同被告人の検察官に対する自供については、その調書に記載してあるところは、あまりにも抽象的で具体性を欠き費消の状況が不明であるが、同被告人の司法警察員に対する供述調書によれば前述した如く自己の生活費並びに相被告人の清水に対する連絡のための交通費に費消したかの疑いを抱かせるものがある。しかしながら、同調書自体には先に指摘したような矛盾した部分を内包しているのみならず、右取調当時被告人小林が公判廷において供述するような相被告人清水から被告人小林の生活費に費消した旨供述するよう依頼されたとの疑いを容れる余地も関係証拠に照らせば絶無とは断じ難いもの(例えば、被告人小林が前記の如く被害者本多正治関係分の司法警察員調書で自己のために費消したとする分のうち、右調書添付の一覧表の番号37、53、58、66、72の五回分については相被告人清水は当公判廷においてその受領方を認めている等)も存在しており、右司法警察員に対する供述調書は全面的に信頼することはできない。また、被告人小林の当時における生活状況、特に所持金の状況並びに交通費等について、証人大河原誠一郎は、「被告人小林が大河原方に寄食していた昭和三六年六月中旬以降同年一二月初めに同被告人が逮捕されるまでの間、同被告人の生活費等一切の面倒を大河原方でみており、被告人小林はいつもお金がなく三〇円とか五〇円ぐらいしか持つていなかつたので電車賃とか小使銭を大河原方で出していた」旨供述し(第五回公判その(二)58、59各問答)、証人渡辺朝秋は、「被告人小林が渡辺方に寄食していた同年二月末頃から同年六月中旬頃までの間、間代も食費も請求しないで同人方で同被告人の一切の面倒をみていた。散髪代として一、二回同被告人に渡したくらいで、同人は自分の小使銭を持つていなかつたと思う」旨供述し(第一〇回公判58ないし70問答)、証人桐谷喜美子は、「被告人小林が散髪代に困つていたので二〇〇円を渡した」旨供述し(第一〇回公判83ないし87問答)、証人本多正治は、「被告人小林は帰りの電車賃もないというので一〇〇円ないし二〇〇円を同人に再三渡した」旨供述している(第一一回公判その(一)147ないし149問答)。これらの証拠によれば、被告人小林は右問題の当時、当初は渡辺朝秋方に、その後は大河原誠一郎方において、それぞれ生活の面倒をみてもらつていたものであり、所持金も殆んど持たなかつたことが明白であり、これが仮装とも疑いえないことは前述したとおりであるから、被告人小林が本件被害金品の一部を生活費に費消したとする前記検察官らに対する供述調書は、これを裏付けるに足る確たる証拠のない本件では、到底信用できない。

III 以上検討を経てきた各事実によれば、被告人小林の当公判廷における供述はその全部をそのまま肯定できないにせよ、相被告人清水の供述に比較して信用性があるといわねばならない。そして右被告人小林の当公判廷における供述を含む関係証拠によれば、被告人小林は相被告人清水のために本件被害者らから交付を受けた金品はすべてその都度同人に渡していたものと認めるのが相当である。

IV なお、被告人清水は検察官に対し、「被告人小林にあつた時、二、三千円ずつ渡している。財布は同人もしくは自分のいずれが持つていても差支えないので、自分が持つていたこともあれば、被告人小林が持つていて必要の都度私が貰つていたこともある」旨供述している(昭和三六年一二月九日付供述調書)が、当公判廷においては、証人として「被告人小林の方でも少しは持つていなければ仕様がないというので、小使銭として二〇〇円ないし三〇〇円、或いは一〇〇円程度で同人に渡したことがある」旨供述して、検察官に述べたことを訂正しており(第七回公判その(一)214ないし221問答)、被告人小林も当公判廷において、「相被告人清水に金を渡したときに電車賃がないから帰れないので一〇円でもいいからということで、三〇円や五〇円程度の金はもらつていたが、多額の金は受取つていない」旨、ほぼ相被告人清水の右証言に符合するが如き供述をしている(第八回公判212ないし218問答)。そうとすれば、この点の真否は被告人両名の公判廷における供述によつて認めるのが相当であり、これらの証拠によれば被告人小林が相被告人清水から渡された金員は都内における電車賃程度の些々たる金額であつたものと認められる。

V 以上認定した事実によれば、被告人小林が本件被害者から入手した金員のうち同人において領得したものは都内における電車賃程度の極めて小額な金員であり、その余の金員はすべて相被告人清水に交付していることが認められる。このことは被告人小林が検察官の主張の如く相被告人清水と武内しのぶとの結婚等の話が事実無根であることを知つていたとすればまことに不可解の事態といわねばなるまい。

(3) 被告人小林の性格及び本件当時の精神状態

思うに、相被告人清水の武内しのぶとの結婚に伴う三千万円の財産分与金の話はまさに荒唐無稽というべきであり、その真実性は社会常識上容易に判断されうべきものであろう。しかるに、本件被害者らはいずれもこれを看破できず相被告人清水の右虚言に欺罔されている(右虚言は被告人小林を介してなされたが故に効果的であつたのである)のであるが、同人らは相被告人清水の素性を知つていないのであるから已むをえないとしても、被告人小林に至つては、さきに(二)の(1)の(ハ)で指摘したとおり、親戚関係にあり、かつ、地方電話局の課長の経歴を有しながら、長期にわたり相被告人清水に欺罔されたとすることは、これを首肯できる余程の事情がない限り、いかにも不自然である。この点については、さきに二の(2)で相被告人清水が被告人小林に対して行なつた工作等の面から被告人小林にこれを信じるにつき相当の事由ありと認めうるかいなか等を検討したのであるが、本件ではなおこれに併行して、被告人小林の経歴、性格等その精神面から同被告人には右のような作話でもこれ信じ込む素地があるかいなかについてもこれを調査し、精神鑑定まで行なつているのである。この結果は次のとおりである。

被告人小林は農家に生まれ、小学校の課程を了えた後、電話局に入り、退職時には工事主任に昇任しているが、仕事としては終始現場作業員としての生活に没頭していたものであつて、一般的に世間の常識にうといと考えられる面があるのみならず、同被告人が行つた財産分与の方法に関する供述―当公判廷における供述及びその対象となつた書面の記載―には難解で常識をもつては理解できないものが多多あつて、この面からもその社会常識には偏倚のあることは否定できないと考える。そして、被告人小林が長年にわたり実直に電話局に勤務していたにも拘らず、本件で問題となつている昭和三五年一二月頃にわかに家族を捨てて単身渡辺方或いは大河原方に起居し、相被告人清水のために奔走した経過には普通の人間にはみられない異常性をしみじみと感じせしめるものがあるのであるが、このことは当公判廷においてもその残影を止めていることが窺われる。即ち、高貴と思われる知名人の名を挙げて供述することを躊躇し(例えば第八回公判227問答)、また、第八回公判で自己の起案した前記趣意書を暗誦した際その態度が恐懼感激そのものであつたことなどがそれであつて、これらは到底演戯とは考えられないものである。またその感情の面においても、法廷で号泣することが屡々で、その感情の起伏の激しさを如実に示しており、普通の人間とは変つていることも看過できないことであろう。そして、医師竹山恒寿作成の鑑定書によれば「被告人小林は社会的知識や概念構成、計算力すべて水準以上で知能低下は認められないが、性格的には温和な狂信家、熱中家であつて、本件のような作話にうちこむ素質をもつている。本件当時被告人小林は相被告人清水の巧妙な誘導(詐術)により迷信にも匹敵しうる誇大的な過価観念を持つに至り、本件では、これが支配観念となつてその行動を支配している。この状態は一種の狂信状態である。しかも、その状態は著しい精神障害とはいえないけれども、確かに一種の精神変調の状態である」と説明している。本件当時における被告人小林の行動には、右鑑定書によつて指摘された狂信状態ともいうべき支配観念による行動と目することによつてはじめて理解できるものが多い事実は鑑定書が指摘するとおりである。この鑑定はさきに二の(2)で認めた事実及び本項の前段で認めた事実などを併わせ考えるとまことに相当な見解と考える。

(4) 以上(1)ないし(3)で検討してきたところによると、被告人小林の当公判廷での弁明は単に弁解のための弁解とは断じ難く、その弁明には、たとえ(1)で指摘したとおりの疑念が一応あつても、(2)、(3)の事実を認めうる本件では、被告人小林が事前に検察官が主張する如く相被告人清水と、武内しのぶとの結婚等の話が事実無根であることを知つていたとはとても認定できない。即ち、(2)、(3)はまさに二の(1)の(ハ)に対するいわゆる反証であつて、この反証の存する限り、被告人小林に詐欺の故意があつたとする見方には、いわゆる合理的な疑いが附帯しているとみるのが相当であり、そして一件証拠を検討してもこの疑いを解消しうるものは一つも発見できない。(もつとも、被告人小林は当公判廷で相被告人清水の言動につき屡々半信半疑の状態に陥つたことはこれを認めているのであるが、前記(2)、(3)の事実にかんがみると、被告人小林がこれまた当公判廷で弁明しているように、同被告人はその都度右疑問にも拘らず相被告人清水の巧妙な手段により欺罔され続け結局被害者らに自己の告知することが或いは事実無根であるかもしれないというまでの認識はこれをもつに至らなかつたと認めるのが相当である―一件証拠によれば、相被告人清水の両親も相被告人清水と武内しのぶとが婚約し三千万円の財産分与をうけ父親の宇市自身も宮内に奉職しうると長期間に亘つて信じていたことが認められるのであるが、このことは相被告人清水の詐術の巧妙さの一端を物語るものであろう。)(また、被告人両名の捜査官に対する供述調書には、被告人小林の知情に関する供述記載のあることは、さきに指摘したとおりであるが、この供述記載は抽象的で反証を具体的に検討しうるまでの手掛りとなりうるものが殆ど存しないのみならず、右証拠物の関連していかなる取調を行なつたか全く不明であり、これらの調書によつては右反証を覆すまでの心証は惹起しない。)

三、結論

相被告人清水と武内しのぶとの結婚に伴い三千万円の財産分与がある旨の相被告人清水の話は全く荒唐無稽な、馬鹿げた作話であり、健全な社会常識を有する者であれば、右の話に疑念を抱き真相を追求する態度に出るとみるのが一般の見方であろう。しかしながら、本件においては、相被告人清水の詐術が稀にみる巧妙で入念なものであつたこと、もともと温和な熱中家であつた被告人小林がいつしかこれによつて欺罔され、一種の狂信状態ともいうべき支配観念にとらわれたこと、しかも、同被告人が右支配観念の赴くままに誇大な言動に出ていたばかりでなく真剣味に溢れた態度であつたこと、及び相被告人清水が社会的に信用のある被告人小林をパイプとして利用していたことなどのために決して無智蒙味といえない本件被害者らも安々と欺罔され、容易に事の真相を発見しえなかつたものである。本件において、被告人小林が果した役割は極めて大きく、同被告人が思慮深く行動していたならば本件は未然に防げたであろうことは疑いを容れない。その意味で被告人小林は責められるべきであるが、同被告人の刑事責任についてみると前記認定によれば、その所為は詐欺の故意―確定故意はもち論未必の故意も―の点においてその証明が十分でないといわねばならない。そうとすれば、被告人小林に対しては、犯罪の証明がなきものとし、刑事訴訟法三三六条後段により無罪の言渡をすべきものである。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 八島三郎 相沢正重 山本博文)

別紙一覧表第一~第五(略)

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